Daiji Minematsu

峯松 大治

南カルフォルニア大学卒(USC)。親はもとより一族が経営者ばかりの環境に育ったため、言葉を覚えるよりも先に商売を覚えていた。小学1年生の時、夢は昆虫博士だった。小学6年生でパソコンの授業が導入され、それに影響を受け中学1年生、初めてパソコンを購入。OSはTownsOS(MS-DOS)、FM-TOWNSⅡというデスクトップ。確かCPUは16MHz。メモリ2メガ、HDDは100メガバイト程度だったと思う。GUIとPCM音源という当時としては画期的なPCだった。価格は約50万円。1991年インターネットが一般的ではない時代。NIFTY SERVEからインターネットに移行していた時代。AOLでダイヤルアップ接続していたのを覚えている。その後、情報処理系の資格も取り将来はIT系の仕事をしようと考えていた。ちなみに18歳の時には苦楽園にてBARを経営。お酒よりも自分に一番酔っていた気もする。大学を卒業後は、親のコネもあって幸運にも大手総合商社の繊維部門の広報部で勤務することに。でも、内心独立するつもりだったので、長く勤める気はそもそもゼロ。案の定、2年で退職を決意してしまうという問題児っぷりを発揮。そんなときに数多くの起業家を輩出しているリクルートという会社の存在を知る。世の中を斜に構えて見るような冷めた考えのはずの男が、ここで結果も残せへんようやったら、そもそも独立なんてでけへんわ!という熱い思いが芽生えてしまい入社を決意。HR(ヒューマンリソース)事業部にて、大企業~零細企業問わず、1000社近くの人材採用に関わることになる。それまでの安定していた仕事とは違い、働くことの意義、商売の楽しさ、経営者の方の発想などなど、お金にはかえられない貴重な経験を得る。とはいえ、自らの価値をお金にかえる楽しさも知る。MVPで表彰された回数は数知れず。目標数字に対し560%達成という訳のわからない記録も残す。入社して間もない頃、リクルートの制作事業部でひときわ目立っていた寺本と出会う。後にこいつと会社を興すことになるとは予想もしていない。ただ単に個性的な集団であるリクルートの中でも印象に残るくらいのインパクトはあった。そんななか、自分のお客様であった企業からの誘いを受け、生意気ながら執行役員として外資系ITコンサルティングの会社に転職。今までとは逆の立場から中小企業の人材採用の大切さを痛感。人で会社はビックリするくらいに変わる。その逆もしかりで、会社との出会いが一人の人間の人生も変えてしまう。それなのに本当に幸せなマッチングができている企業は少ないんじゃないかと感じる。きっとそれは、企業と人が他でも言えるようなうわべだけの情報で判断をしているから。だったら、俺がそんな世の中を変えてやりたいと本気で思ってしまった。こういう風に書くと、たいそうだが、実はひとりでは御飯も食べに行けないような寂しがりやさん。

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